祖母は、生糸の原料となる繭を取る為に蚕を育てたり、日本海の塩や、お米・野菜などを創り、いつも自然と共に生きてきました。今まで様々なジャンルの食事をしてきましたが、そんな祖母が作る手作りの味噌汁が、間違いなく一番美味しかった。
月日が経ち、「瀬織」を製造している徳本さんから様々なお話を聞く中で、祖母は自然の循環の中でできたモノだけを使いお味噌汁を作っていたことに気が付きました。畑で牛も飼っていたので、夏休みに実家に帰省した際は、牛の餌作りから出産の立ち合い、糞の処理のお手伝いなど、都会では味わえないとても貴重な体験をしたことを、今でもよく思い出します。
お米や野菜の人間が食べない部分を牛が食べ、胃の中で発酵させ、土に還す。その土で野菜や大豆を作り、味噌を手作りする。そこには、小さくも素晴らしい循環が存在していたのです。祖母の味噌汁の”味”の記憶が大きな羅針盤となり、「瀬織」と出逢う道へと導いてくれたのだと感じています。
そんな中、コロナ禍中に祖母がこの世を去ったと、親からの連絡があり、山陰の鳥取県へ向かいました。
満100歳という人生を全うした祖母の棺桶でのなんとも言えない表情を今でも忘れられません。
私が最初に感じ、降りてきた言葉
「あっ、おばあちゃん土に還ったね」、胸の中から不思議な涙が溢れてきた感情は今でも忘れられません。
そして、ちょっと冷静になった私は
あっ、コンポスト作ろう!っと何かが降ってきた事を思い出します。なんとも不思議なお話ですが、実はこれが「せとうちコンポスト」が始まるきっかけだったのです。
元々日本には本質的なサステナブルが存在していたとおばあちゃんが教えてくれました。